メッセージ

●「 神の視点、 人の視点 」 牧師 坂本 誠

神様と人とでは人を見る時の見方が大いに異なっています。3点。

⑴人は人の外見を見るが、神は人の内なる心をご覧になる。 1サムエル16:6〜7「彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て『確かに、主の前で油をそそがれる者だ』と思った。しかし主はサムエルに仰せられた。『彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る』」。人は人の外見や学歴や体の健康具合などを見て等級分けします。しかし、神はその人間の内心をご覧になり、ご評価されるのです。ことに人の良心のありよう=人格的な価値をご覧になるのです。世間の評判ではかくかくしかじかでも、それが世間を偽る仮面であり、心の素顔は全く違うということは往々見受けられることです。

⑵人はその人の過去を見るが、神はその人の現在と将来をご覧になる。使徒9:10〜16を読むと、人と神の視点の違いがよく分かります。アナニヤは13「この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました」とかつてのキリスト教徒迫害の首謀者であったサウロの恐るべき過去に目を留めているのに対し、主は11「彼は祈っています」と今や悔い改めて祈っている現在に目を留めておられることが対比されています。私たちは、他人の過去を見るだけでなく、自分自身についても自分の恥ずかしい過去のみを見て終わりがちです。「どうせ、私はあんなことをしてしまったから。私にはあの問題があるから」と。しかし、神は私たちの将来に希望をおいてくださるのです。内村鑑三「人の価値」「人の価値(ねうち)はかれの今の価値である。かれの過去の価値でない。かれが過去において善人でありしとするも、かれがもし今悪人であるならばかれは悪人である。それと同じく、かれが過去において悪人でありしとするも、かれがもし今善人であるならかれは善人である。永久の現在なる神を信じるわれらは人の過去を尋ねてかれの現在の価値を定めない。かれの価値はかれの今の価値である。われらはかれの過去によってかれの価値を定めない」。

⑶人は自分自身を見るが、神は代わりにイエス・キリストをご覧になる。主イエスは、私たちの「身代わりになって」十字架にかかってくださいました。神の御前での私たちの罪と罰をすべてご自分のものとして受けてくださいました。私たちはこの主イエスの身代わりの死に免じて、赦されることができるのです。即ち、神は私たちをではなく、キリストをご覧になって、キリストの故に私たちをお赦しになるのです。2コリント5:21「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」と


●2021年8月15日 希望の階梯 ローマ5:1〜5 坂本 誠牧師

5:3〜5「患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません」

⑴人にはそれぞれにつらい患難や試練が訪れます。どうして私がと、悲しく憤ろしい疑問がわき上がって来ることもあります。そんな私達にとってどうしても必要なのはついえない希望を保つということです。人は希望を持たないと生きていけませんが、希望があれば少々のことでも乗り越えることができるものです。5「この希望は失望に終わらない」という希望への道は3〜4(口語訳)「患難、忍耐、練達、希望」という階梯を経て至るもので、パウロも自ら辿った道として今日の私達に示してくれているものです。

⑵患難から希望へは一足飛びには行きません。途中に忍耐、練達のステップを必要とします。このことは3つのことを示しています。①は各段階は避けられないこと、②は各段階は永久に続きはしないこと、③は各段階には目的があることです。患難に遭遇し忍耐を要求されると、私達はこれが永久に続くかのように思い込みますが、永久なのは神の恵みのみであり、その他のものは限りあるものです。患難も忍耐も過ごし行くには時間がかかりますが無期限ではなく、終わる日が必ず来ます。信仰とは「神の時を待つこと、イライラしないこと」と知りましょう。主は、意味無く目的無く人を試みに遭わせたもうことはありません。患難には忍耐という目的があり、忍耐には練達という次のステップが用意されており、練達に至れば必ずや希望に至り、勝利は近いのです。患難は必ずしも悲しみではなく、3「患難さえも喜ぶ」という心境に導かれましょう。

⑶「練られた品性・練達」の原意は「試験済みで合格」です。元来は金属の純粋度を調べるための試験のことで「錬成」とも訳せましょうか。ヘブル12:6「主はその愛する者を訓練し受け入れるすべての子にむちを加えられる」ともあります。試みるは「心見る」です。

⑷まとめ2点。①ある先生はこの御言葉を「お経」のようにして心と体に刻めと勧めています。「カンナン、ニンタイ、レンタツ、キボー」と繰り返せと。御言葉と祈り以外にまことの励ましはないのですから。とにかく御言葉を自分のものにした者勝ちなのですから。②患難からは二本の階梯が延びています。一方は忍耐・練達・希望に至る昇り階段、他方は自暴自棄・品性低下・絶望に至る降り階段です。私達の信仰は順風満帆の日にはその価値が分かりません。私達の信仰の真価が問われるのは患難、忍耐の日です。その日その時、5「愛の注ぎ」をおぼえ、引き上げてくださる主の御手を握り、共に昇りたもう主を信じて希望を目指して昇り行くか、それとも、人生の降り階段を転げ落ちていくかが問われています。


●2021年 7月 25日(日) 福音書記者マタイ 坂本 誠牧師

マタイの福音書は新約聖書劈頭の書。
⑴本書の重要性。もし本福音書が存在しないなら、今日のキリスト教は違ったものになります。5章以下の山上の垂訓、福音書中マタイ16、18章にだけ記される「教会」の二文字、聖誕物語のヨセフへのお告げや東方の博士の来訪、28章の大宣教命令などを知ることができなくなるのですから。大宣教命令が無ければ洗礼も無くなってしまいます。マタイ固有の記事は極めて重要です。福音書は4書ありますが内2書は主イエスの直接の弟子ではない人によって記されています。しかし、マタイは主イエスを寝食を共にした弟子でした。
⑵著者問題。表題に「マタイ」とありますが本書中、署名はありません。表題「カタ・マタイオン」はマタイにちなむという程の意味ですが、伝統的に主イエスの12弟子のマタイが記したとされています。理由①新約聖書にはマタイ10:2〜4、マルコ3:16〜19、ルカ6:14〜16、使徒1:13の4箇所に使徒の人名表があります。比較すると興味深いことにマタイ伝に限り、マタイの肩書きとして職名・取税人が付されています。他の人々にも職業があり例えばペテロなど漁師と付されてもよさそうなのにです。取税人は恥辱に満ちた職名です。当時、イスラエルはローマ帝国の属国でした。植民地政策は植民地からの搾取を本国の利益とすべく、生活のあらゆる場面で重税の取り立てを行います。
しかし、本国から派遣された職員が取り立て業務を行うと反感を直に受けます。そこで、ローマは現地人を下請け業者として雇い、彼らに直接の汚い仕事をさせ批判をかわしました。その代わり少々の役得には目をつぶりました。100円取るところを150円取ることを許し、100円さえ送金すれば50円は役得という具合に。バプテスマのヨハネは取税人達にルカ3:13「決められた以上を取るな」と教え、取税人の頭ザアカイはルカ19:8「だまし取っていた」と告白します。このように取税人は宗主国に国を売る売国奴、特に異邦人に仕える者として罪人扱いされました。マタイ18:17では罪を犯した者を取税人扱いしています。
理由②マルコとルカはマタイが召される記事で、彼が親からもらった本来の名前の「アルパヨの子レビ」を用いますが、マタイはおそらく主イエスに召された後にいただいた改名後のマタイという名を全面的に用います。マタイとは「主の賜物」という意味です。以上のことから、人名表の職名は「自分は嘗ては罪人。しかし主の恩寵により」と告白と感謝を込めてのことと考えます。


●2021年 7月 25日(日)福音書記者マルコ① 坂本 誠牧師

四つの福音書の内、二番目の福音書は、伝統的に、使徒12:12の「マルコと呼ばれるヨハネ」が執筆したと信じれられています。マルコはラテン系で「優雅」、ヨハネはヘブル系で「主は恵み給う」の意味です。しかし署名などはありません。では、なぜ著者がマルコだと言えるのでしょうか。
⑴古代文書から。エウセビオス「教会史」にある紀元130年頃のパピアスの言葉「ペテロの通訳となっていたマルコは彼の記憶に従い、主によって語られまたなされたことのすべてを、順序を追ってではないが正確に書き記した。なぜなら、彼は主から教えを聞いたのでもなく、また主に従いもしなかったからである。彼はただ後になってペテロに仕えたからである。ペテロは必要に応じて教えを伝えたが、主の言葉を順序を追って書き上げようとはしなかった。だからマルコが、ある事柄を記憶に従って書き下したとしても誤りをおかしたことにはならない。なぜなら彼が最も意を用いたことは、何一つ書き洩れのないようにまたその中に何一つ誤った記述をしないようにということであったからである」。212年に死去したアレキサンドリアのクレメンスの言葉「ペテロがローマで伝道していた際、マルコは長い間ペテロに仕えていたので、ローマの信徒達はマルコに、ペテロが語ったことをその記憶にしたがって記述するように求めた。マルコはこの要請を実行し彼らに福音書を伝えた」。これらの文書では、マルコは使徒ペテロから情報を得て福音書を記したとされています。ペテロの第一の手紙5:13「私の子マルコもよろしくと言っています」から二人の師弟関係が偲ばれます。
⑵二人の接点はマルコの母親の家です。使徒12:12には牢獄を脱したペテロが「マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって祈っていた」とあり、この家は12:5で「教会は彼のために神に熱心に祈り続けていた」とある「教会(定冠詞付の単数形)」でした。このエルサレムにある祈りの家である教会は1:12〜14で「屋上の間〜みな心を合わせ祈りに専念していた」場所であり、2:1「五旬節の日に〜みなが一つ所に集まっていると」聖霊が降り世界最初の教会となった場所です。ヨハネ20:19では弟子達はあḂ家の一室に閉じこもっていました。
これらの「エルサレムの二階を持つ家=ヨハネマルコの母マリヤの家=最初の教会=皆が集う祈りの教会」は、マルコ14:15「最後の晩餐の会場・二階の広間」のある家でした。マルコ14:50〜52で主イエスが逮捕された時「素肌に亜麻布一枚着て付いてきて」自分も捕まりそうになると裸で逃げた、格好悪い青年は匿名のマルコかもしれません。マルコはペテロとパウロという初代教会の二大巨頭と親密な関係を結んでいたのです。

●2021年 7月 25日(日)福音書記者マルコ② 坂本 誠牧師

著者マルコとパウロの関係は使徒12:25に始まります。パウロとバルナバは、伝道旅行の助手とすべくマルコをエルサレムからアンテオケに連れてきましたが、彼は期待に背いて大失態を演じました。後日パウロとバルナバが再度伝道旅行に出発する際、悶着の種となったのです。マルコをメンバーに加えるか否かで両者の意見が鋭く対立、コンビを解消するほどの反目状態に陥りました。それは、マルコが第一回旅行の際、一旦は献身し出発したのに13:13「一行から離れてエルサレムに帰っ」たからです。それは何かの仕事のためで、パウロは15:38「一行から離れてしまい仕事のために同行しなかった者は一緒に連れて行かないほうがよいと考え」、バルナバは37「一緒に連れて行くつもり」でした。もしもマルコが、マルコ14:51〜52「裸で逃げた青年」本人だったなら、彼には逃げ癖があったのかもしれません。
バルナバは使徒4:36「キプロス生まḃの人」。コロサイ4:10によればマルコの親戚であり、迫害者サウロを招いたことでも明らかなように人情肌でした。彼はまだ若いマルコの離脱を「まぁまぁ穏便に」とかばいチャンスを与え教育的配慮をしたようです。対してパウロは、他のことならともかくこれは献身の問題であり神に対する責任の問題であると考えました。確かに「自分の仕事」も大事だろう。でも献身した以上「主の仕事」に挺身すべきだ。いやしくも献身者にとって宣教以上に優先的な仕事があるのか。武器なく丸腰で、福音一本を握って国外に遠征する。行く手には主イエスを亡き者にしたローマ帝国官憲もユダヤ教当局者もいる。この旅は物見遊山ではない。このようなミッションに必要なのは初志貫徹の鋼鉄の意思と刎頸の友たる友愛の石垣である。戦線離脱をして何ら悔い改めない人をそう易々と復帰させてはならぬと考えたのです。皆さんはどちらの考え方を支持しますか。聖書は暗示的に記録しています。バルナバがマルコを実家のあるキプロスにただ39「連れていった」のに対し、パウロは40「兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発し」ています。
パウロとバルナバ、パウロとマルコの関係はその後どうなったか。バルナバとは1コリント9:6でコンビ
復活の模様。マルコの方も、2テモテ4:11「マルコを連れてきてくれ。彼は私の務めのために役に立つ」コロサイ4:10「バルナバのいとこのマルコを迎えてくれ」ピレモン24「私の同労者マルコ」とある、主のご訓練を経てパウロの同労者に復帰しました。役に立たないからいなくてもよいと言われたマルコは、今や、獄中書簡において、役に立つから連れてきてくれと言われています。そればかりか、後にはマルコの福音書を記すことになります。マルコは「挫折と栄光」を経験しました。キリスト信仰は実に「再出発の宗教」でした。

●2021年 7月 25日(日)福音書記者ルカ 坂本 誠牧師

第三福音書の著者は誰でしょうか。書中に直接の言及はありませんが伝統的にルカだと考えられています。私も伝統的解釈の路線で同意見です。ルカはコロサイ4:14「愛する医者ルカ」2テモテ4:11「ルカだけは私とともにおります」ピレモン24「私の同労者〜ルカからもよろしく」の3カ所に登場します。いずれもパウロ書簡である獄中書簡。職業は医者、パウロと共に投獄を経験、「愛する」と特別な親しみを込めて呼ばれた宣教の同労者です。
本福音書の著者をルカであるとする証拠はあるのでしょうか。以下の手法で推論します。
①第三福音書と使徒の働き(以下、使徒書)は同一人物の著作であり、二書は「上巻下巻」の関係にある。二書の序文には共に宛先としてテオピロの名があります。使徒書の序文には「前の書」とあり
「天に昇られた日まで」とあります。四福音書の中で主の昇天まで記しているのは第三福音書のみです。 ②使徒書に出てくる「私達章句」に注目。この書は「三人称」で書かれています。パウロが語ったとか、ペテロが行ったという風に。しかし、所々、主語が「私達=一人称複数形」になる箇所があります。最初は16:10「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに〜神が私たちを招いて」20:5「彼らは先発してトロアスで私たちを待って」21:1「私たちは彼らと別れて出帆し」27:1「私たちが船でイタリヤへ行くことが」と言う具合です。つまり「私達」の中に著者が含まれていると考えます。③消去法。使徒書に三人称で登場する人々は「私達」から除外されます。例えば、テモテ、アクラとプリスキラ、テトス、アポロ、アリスタルコ、シラス、マルコ、バルナバ、ペテロ、アナニヤ。また20:4、13:1等「同行者リスト」に名の挙がる人々は含まれないはずです。こう考えていくと残った者達の中で、パウロに非常に近い場所にいて、彼に信頼された同行者で、かつ、文学作品を書くことのできる高度な執筆能力を有する者としては、ルカ以外には考えられません。使徒書にはルカは一度も出てこないのです。④このように下巻の著者がルカであるなら、上巻も同じ人が著者という結論です。これが伝統的な著者の割り出し方として定着しています。
但し、この説には一つ重大な弱点があります。それは「私達章句」は何故か航海日誌にしか出てこないということです。陸路には現れないのです。そこでこれは当時の文学的手法だとの反論があります。「胸につけてるマークは流星〜光の国から僕らのために、来たぞ、我らのウルトラマン」と言った歌にもあるように「僕らの、我らの」と言う言葉を使うのは、読者を冒険的世界に引きずり込むための一手法だというのです。もし、そうなら上述の推論は瓦解します。


●2021年 7月 25日(日)福音書記者ヨハネ 坂本 誠牧師

第四福音書の著者は伝統的にはヨハネとされます。ヨハネは「主は恵みたもうた」の意味。新約聖書中には同名異人が多く登場します。バプテスマのヨハネ、福音書記者ヨハネ・マルコが有名ですが、本書の著者は主イエスの12弟子のヨハネです。ヨハネはマルコ1:20ではゼベダイの子で、元は父や弟ヤコブと共にガリラヤ湖畔の漁師でした。この二兄弟、初めはルカ9:54で従わない者らに火を降らせようと言うなど激烈な性格で、主からマルコ3:17「ボアネルゲ=雷の子」とあだ名されていました。それが主の昇天後は、初代教会において主の兄弟ヤコブ、ペテロと並びガラテヤ2:9「柱として重んじられ」る人になります。ヨハネの兄弟のヤコブは使徒12:2で、使徒団の中で最も早く、若くして殉教の死を遂げますが、ヨハネは100歳近くまで使徒団の中で最も長生きしました。短命でも長命でも、主に仕えた点では同じでした。長年主に仕えたヨハネはやがて「長老」と皆が認める重鎮となり、伝統的には手紙3通と黙示録、計5書を遺したと考えられています。手紙3通には「神の愛、兄弟愛」が溢れ、後の教会で彼は「愛の使徒」とあだ名されました。雷の子から愛の使徒へと。
問題は、本福音書がこのヨハネが記したものか否かです。本文中に署名などはありません。以下の各点からヨハネ作と考えます。
①本福音書は21:25「私は思う」で結ばれますが「私」とは誰なのか。著者自身なのか別の人なのか。前節に24「これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者はその弟子」とあります。その弟子は匿名ですが、21:20〜21でペテロと共に復活の主と会った弟子であり、最後の晩餐に同席した「主の愛する弟子」であり、21:2の弟子の人名表中の「ゼベダイの子」です。
②共観福音書では弟子ヨハネは重要な格付けのもと実名でよく登場します。例えば、変貌山の記事でマタイ17:1「イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて高い山に導いて行かれた」と。このように共観福音書ではヨハネは実名でよく登場しますのに、何故か本福音書では実名では一度も登場せず、代わりにある弟子が「主の愛した弟子」と名を伏せてしばしば登場します。
③本福音書には実際の目撃者でなければ書けないような臨場感があります。水がめが2:6「80から120リットル」12:3「香油300グラム〜家は香油のかおりでいっぱいになった」とリアルです。また他の福音書ではペテロ、アンデレなどの召命以前のことは全く記されていませんが、本福音書では1:35以下に彼らが元はバプテスマのヨハネの弟子だったことや、1:44でピリポの召しのことなどが記されています。たぶん1:40の二人の弟子のうち匿名の一人はヨハネです。このように最初期の歴史を詳しく書いているのは目撃者作の本書だけです。


●2020年 9月 13日(日) 主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒 タダイ」 ヨハネの福音書14:15~24
タダイは余りよく分からない人です。彼の晩年や最期は「ユウセビウスの教会史」
の記録によれば殉教でした。
(1)タダイとは誰であったか。
新約聖書には何カ所かに「十二使徒の人名表」がありますがそこに記されている人
物の名前は同じではありません。比較することをお勧めします。マルコ3:18とマタ
イ10:3の人名表には「タダイ」がいますが、ルカ6:16と使徒の働き1:13の人名表
にはタダイの名はなく代わりに「ヤコブの子ユダ」がいます。タダイがいる時にはユ
ダはおらず、ユダがいる時にはタダイはいません。そこでタダイは「ヤコブの子ユ
ダ」でこの二人は名前は違いますが同じ人ではないかと考えられています。同名異人
ならぬ異名同人です。更に彼には別名があり、ヨハネ14:22「イスカリオテではない
ほうのユダ」です。おそらく使徒団の一員であった「イスカリオテのユダ」がイエス
への裏切によって不名誉な名前になってしまったので両者の区別のため「イスカリオ
テではない」という否定的な呼称になったと思われます。かくしてタダイには幾つか
の名前の可能性がありましたのでヒエロニムス(聖書翻訳者として有名)は彼を「ト
リノミウス=3つの名前を持つ」とあだ名しています。尚、十二使徒の人名表の最後
の4人はいつも同じです。そこで熱心党員シモンとの関係があるのではと想像されて
います。
  
(2)目立たない人
彼の活動は他には全く記されず、名だけが残されているに過ぎません。使徒団の中
には名前が記憶され目立つ人たちがいます。例えばペテロ、ヨハネ、マタイなど。
名前と活動が良く知られています。しかしタダイの名は記憶されず、特別な活動をした
という記録もありません。でも教会で大切なのはこのような人です。地味でよろしい。
派手でなくてよろしい。しかし忠実に目立たない働きを陰で担っている人です。
彼らの名は主の御前に永遠に記録され記憶されるのです。
(3)聖書にただ一つ残るタダイの言葉
ヨハネ14:22「イスカリオテでないほうのユダ(上記①参照=タダイ=ヤコブの子
ユダ)がイエスに言った。『主よ。私たちにはご自分を現そうとなさるのに、世には
そうなさらないのは、どうしてですか』」。彼の言葉は聖書中ここだけです。彼の言
いたかったのは「先生、世の中に打って出ましょう。内々だけでやっているのは無駄、
そんな悠長なことでは駄目です。御言葉に従うなんていう方法では人々に救いは
もたらされませんよ」と言うことです。分かるような気持ちがします。政治活動をし
ていた熱心党員に刺激され「世の中に!」という気持ちだったかもしれません。イン
ターネットやfacebookなどで世の中にご自身を宣伝しましょうと。しかし、主は、
御言葉を信じること、主を愛すること、これがすべてでありここに究極の解決がある
と繰り返されました。23「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守りま
す」と。タダイは、世の中の声、社会の声に耳を傾けることを第一に大切なことと考
えたようです。しかし、主はご自身の声に耳を傾けることを第一に大切なこととお考
えでした。。

●2020年 9月 6日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒 アルパヨの子ヤコブ」 マルコの福音書3:13~19
ヤコブの入信、献身の次第は不明で、聖書に何も記されていません。尚、ヤコブと
いう名前は大変ポピュラーで聖書にも同名異人が多くいます。区別が必要です。
(1)目立たない人だった
彼は目立たなく地味で派手でない人だったようです。他の使徒たちには様々なエピ
ソードがあり、目立つ大きな働きを残した人もいました。しかし彼はそうではなかっ
たようです。聖書には彼の特筆すべき言動は記されていません。とは言え彼が活動し
なかったわけではありません。十二使徒の一人として、彼は「マルコ13:18など使徒
の人名表」に永遠に名前を残しました。主イエスの使徒にならなかったならば、彼の
名前などは2000年後の今日、決して残っていなかったに違いありません。でも、ただ
ただ主イエスに従って、主のために何らかの働き「それも目立たなかったであろう小
さな働きをした」ということだけで、彼は永久の誉れを受けることができました。私
達は、人の世の中に名前を残すことだけに汲々としがちではないでしょうか。それは
悪いことではなく大切なことです。でも、クリスチャンであるなら、主イエスのみ前
に名前を残すことができなければそんな人生が何になるのか。私達は主イエスの御前
に名前を残すことを考えましょう。人に知られずとも主に知られればよし。こういう
考え方もあるのではないでしょうか。
  
(2)兄弟がいたかもしれない。
彼はいつも「アルパヨの子」と呼ばれています。お父さんがアルパヨだと。聖書中
に「アルパヨ」は登場しませんので珍しい名前だったかもしれません。実はこの珍し
い名前の父親を持つ人物がもう一人います。それは「取税人マタイ」です。マタイは
マルコ2:14では「アルパヨの子レビ」と呼ばれていますが同一人物です。マタイと
ヤコブは兄弟だった可能性があります。
③何故マタイとヤコブは「父・アルパヨの子ら」と名乗らなかったのか。
 もし、マタイとヤコブが「父を同じうする」兄弟だったなら、この人名表で並べて
記されてもよかったのではないでしょうか。マルコ3:17「ゼベダイの子ヤコブとヤ
コブの兄弟ヨハネ」とあるように。またペテロとアンデレのように。しかし、二人の
名前が並記されることはありませんでした。それは二人の政治的な立場、主義主張が
大いに異なっていたからと想像されます。十二使徒の人名表の最後の4名はいつも同
じです。人名表は何か関係のある者同士でまとめられています。4名の中にマルコ3
:18「熱心党のシモン」がいます。アルパヨの子レビ、別名マタイは戦勝国ローマ帝
国に送金する取税人。対してアルパヨの子ヤコブはおそらくローマ帝国に抵抗する国
粋主義的グループである熱心党のメンバーかシンパだったと思われます。当時、イス
ラエルはローマ帝国の支配下にあり一種の植民地になっていました。つまりレビ・マ
タイは親ローマ派、ヤコブは反ローマ派と想像されています。このように政治的立場
が異なる二人ですが、同じ一人の主イエスに従い仕える者となりました。私達もお互
いに様々な点で違っていますが、その違いを越えて主にあって一つとされています。

●2020年 8月 30日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒 トマス」 ルカの福音書5:27~32
使徒トマスは多分ガリラヤ周辺の出身。入信、献身の記録はありません。マタイ10:3等の
人名表では常にマタイと組み合わされています。何か関係があったのかもしれません。
(1)双子の片割れ
トマスはヨハネ21:2他の人名表で「デドモ」と呼ばれています。トマスもデドモも共に双
子の意味です。興味深いのは双子の片割れが聖書に登場しないことです。信仰を持たなかっ
たのか、主に従わなかったのか、死亡か。双子は「生物学上の遺伝子やDNA情報」が全く同
一で出生時の条件は等しいのですが、後の人生は同じではありません。救いや献身は生物学
上の肉親関係とは無関係ということでしょうか。キリスト教は単に個人主義ではなく家庭主
義です。しかし、それぞれに神様からの召しがありそれぞれの応答が求められています。
  
(2)勇ましい信仰
ヨハネ10:31他で、既にユダヤ人によるイエス殺害計画が進行中でした。その事情の下、
トマスは仲間に、11:16「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか」と勧めました。
私達も信仰を貫くと社会的に損をするであろう状況に置かれることがあります。人々の面前
でのお焼香の強制などで恐れを感じることもあります。しかし、かつて「私たちも主と一緒
に死のうではないか」と覚悟を決めた先輩がいたのだということは覚えておきましょう。
 
(3)分からないものは分からない
 ヨハネ14:5「トマスはイエスに言った『主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりま
せん』」。彼は疑問を疑問として「正直に」主にぶつけました。私達も信仰に関して分から
ないことが多くあります。全てが分かろうはずもありません。最もよくないのは「分かった
ような顔をする」ことで、その次は「まぁいいか」と追究を放棄することです。「分からな
いことは分からない」と率直に認め「分かりたい知りたい」と追究することが大切です。そ
れは「信仰に反すること」や「罪」ではありません。信仰への必要不可欠な道程です。

(4)疑いから確信へ
ヨハネ20:25で、使徒仲間が「復活の主を見た」と伝えますが、彼は「私は、その手に釘
の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と
反論しました。このエピソードから彼には「疑いのトマス」という、まことにありがたくな
いあだ名が付いてしまいました。では、彼の疑いの理由は何だったでしょうか。
 ⒜信仰の仲間と一緒にいなかったから。20:24「イエスが来られたとき、彼らと一緒にい
なかった」と。私達が教会に集うのは、一つに疑いから守られるためです。毎週の礼拝出席
が私達を信仰上の疑いからどんなに守っていることか。聖徒の交わりは疑惑の防波堤です。
 ⒝見えるものだけが実在すると考えたから。彼は私が見て私が接触しなければ「決して信
じない」と強く言い張りました。私達は五官による五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)
によってのみ「物の存在」を知ります。これ以外の方法はありません。しかし、信じること
によってのみ初めて分かることもあるのでしょう。見えずとも存在するものはあり、かえっ
て見えないものほど大切なのかもしれません。愛がある、希望がある、信頼があるとか。主
イエスもお怒りではなかったご様子で、27「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見な
さい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりな
さい」とトマスを諭されました。彼は28「私の主、私の神よ」との告白に導かれました。

●2020年 8月 23日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒 マタイ②」 ルカの福音書5:27~32
レビ=マタイが主イエスの招きに応じて使徒として立ち上がった次第を見ます。個人的なことを申し上げますと、私はこの箇所が大好きです。
(1)主の眼差しと招きの声
27「収税所に座っているレビという取税人に目を留め~わたしについて来なさいと言われた」。
主の眼差しと招きの声です。彼は28「すべてを捨てて立ち上がり」ました。
不退転の決意をもって従ったのです。私達にも同じ眼差しとお声がかけられています。
  
(2)献身感謝の食事会
29「レビは自分の家でイエスのために盛大なもてなしをした。取税人たちやほかの人たちが
大勢、ともに食卓に着いた」彼は人々を招いて献身感謝の食事会を催しました。
世へのお別れだとパッと派手にパーティーを開いて出発しました。
 彼には自宅があり家族もいたに違いありません。彼は家庭に主イエスをお招きして
一緒にご飯を食べました。家族伝道です。「取税人たち」も客人として招きました。
現代的に言えば「職場同僚」への職場伝道です。彼としては主イエスに従うにあたり
「みんな聞いてくれ。私はこの方について行って神様のご用をすることにしたんだ。
この方のことをみんなにも知ってもらいたい。私のこれからの道をみんなで喜び応援しておくれ」
という気持ちだったのでしょう。その心意気たるやよし!
 感心させられるのは彼の気前良さで、29「盛大なもてなし」と。前の訳では「大ぶるまい」でした。
牛丼屋などのメニューに「盛り」のサイズが各種あり、少ない方から「レディース盛、セニア盛、
小盛、並盛、大盛、特盛」と続きます。最近では「爆盛、メガ盛」など過激な盛り方があります。
この箇所、原文では「メガ盛」です。この上もなく大きい盛りです。
人を招いてご飯を奢ると言ってもチョッピリだと寂しいものがあります。
マタイは皆に腹一杯食べてもらいたかったようで超特大山盛りで提供したようなのです。
「ごはん、いっぱい用意してありますよ」と。
 私達も何か嬉しいことがあったときなど「今日は嬉しいことがあったんだ。だから今日は
俺が飯を奢るよ。一緒に食べていってくれ」と言いたくなることがあります。
献金なども「イエス様に奢ってあげよう。イエス様にご飯をご馳走してじゃんじゃん救いの
働きをしてもらおう。家族や友達、同僚にイエス様を紹介したい。そのためには俺は喜んで
自腹をきりますよ」てな風に考えて献げてはどうでしょうか。そうすれば信仰生活はもっともっと
愉快なものになってくることでしょう。もしいつかマタイに会うことがあったら肩を叩いて言いたい。
「マタイ君。お前イイ奴だな」と。
 この福音書には他にも取税人が自宅で食事会を開く場面があります。19:1~10。
エリコの取税人のかしらザアカイも大喜びで主イエスを迎えました。マタイといいザアカイといい
取税人だったため人から嫌われ、客人がそうはいなかったものと想像します。
彼らは主イエスに声を掛けてもらい新たな生きる使命をいただいて6「喜び大爆発」だったのでしょう。
それまで彼らはローマ帝国のために金銭に仕えて生きてきましたが、
これからは神の国のために救い主に仕えて生きていくことになりました。 

●2020年 8月 16日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒 マタイ①」 マタイの福音書10:1~4
使徒マタイについてまとめます。
(1)マタイの福音書を執筆した。
マタイは使徒として生前の主イエスと寝食を共にし、身近な者として主の言動を記し残してくれました。
四人の福音書記者の中で生前の主と行動を共にしたのはマタイとヨハネだけです。
もしこの福音書がなかったとしたらキリスト教観は大いに違ったものになることでしょう。
失われる聖句は、5~7章「山上の垂訓」その中の「真福八端=幸いなるかな~な者」
「岩の上に家を建てる」「主の祈り」「黄金律」等々。
16章「ペテロの信仰告白」「この岩の上に教会を」。28章「宣教の大命令」。
「父と子と聖霊の名によって洗礼を」も。この言葉を発しなければ洗礼は「無効」です。
これらはすべてマタイが書き残してくれたもので重要極まりないものです。
  
(2)職業は取税人。
彼の職業はマタイの福音書10:3の人名表にのみ記されています。マルコ3:18、ルカ6:15、
ヨハネ21:2を比較。何故、本書にのみまたマタイにのみ人名に職名が冠されているのでしょうか。
「漁師ペテロ、漁師ヤコブ」とあっても良さそうなのに。
それは当時、取税人は恥知らずな罪人として扱われていたからです。
取税人はマタイ9:10~11で罪人、21:31で遊女と併記され同列の者として扱われています。
彼の職場はマルコ2:1「カペナウム」14「収税所」。当時、ユダヤは幾つかに分割され、
この町は二つの領土の境界線上にあり、通行税を徴収する役所がありました。一種の関所です。
(付録・聖書地図11)。当時、ユダヤはローマ帝国の属国でした。植民地支配の目的は属国から
搾取し本国の利益にすることです。ローマは下請け業者を設けるという賢い方法を考えました。
自分達が直接に取り立てると批判の矢面に立つことになるので現地の人を雇い現場の汚い仕事を
させる。それで批判を避けることができ自分達の手を汚さないですむ。
そのかわり少々の役得には目をつぶってやる。ルカ3:13「決められた以上には取り立てるな」
19:8「脅し取った物は」とあるように。
本国としては決まったお金が入って来さえすればよいのですから。
かくして取税人はユダヤ人であるのに異邦人にして戦勝国ローマの手先となり、自国民から
重税を取り立て、不正に私腹を肥やしたことで罪人、売国奴として扱われていたわけです。
それが「取税人」の肩書きの意味です。
私は昔は罪人でした。しかし主イエスを知って人生が変わった。
こうした私が変わることができたのはひとえに主イエス様の恵みによる。
彼は「感謝を忘れない人」でした。かつての罪深い取税人としての半生、そして主イエスと出会って
からの現在。感謝は過去と現在の比較により生まれます。昔はこうだった、しかし今はこうだと。
その昔と今の間にある主の恵み深い働きかけを思い起こすことが感謝です。
2020年 8月 9日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師
「十二使徒 バルトロマイ、ナタナエル」 マタイの福音書10:1~4
主イエスの後継者は十二人の使徒でマタイ10:3、マルコ3:18、ルカ6:14、ヨハ
ネ21:2に人名表があります。使徒の働き1:13にも。これらを通覧して気になるの
はバルトロマイとナタナエルです。
(1)バルトロマイとナタナエルは同一人物ではないか。理由は以下のとおり。
①共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)にはバルトロマイは出てくるがナタナエルは出てこない。
  ナタナエルはガリラヤ出身で最古参の一人であり、ピリポによって伝道された人なので共観福音書にもっと
  登場してよさそうだが何故か登場しない。
②ヨハネ福音書にはナタナエルは出てくるがバルトロマイは出てこない。すべての福音書にはバルトロマイに
  関する特別な記事はない。
③二人が同時に登場することもない。どちらか一方。
④ピリポとバルトロマイは人名表で常に「組」で扱われている。人名表は二人一組で書かれており、
  多分これは伝道チーム。マルコ6:7、ルカ10:1「十二人を呼び二人ずつ遣わし」。
⑤組み合わされた二人には関係がある。ペテロとアンデレは兄弟。ペテロはアンデレが伝道した。ヤコブと
  ヨハネは兄弟。ナタナエルはピリポが伝道した。
⑥人名表の筆頭四人(ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ)は最古参でガリラヤ周辺の人達。ナタナエルも
  ガリラヤ近くのベツサイダ出身でアンデレ、ペテロと同郷の人。ヨハネ1章には40アンデレ、41ペテロ、
  43ピリポなど古参の弟子達の記事が連続しているが、その中に45ナタナエルの記事もある。
  ヨハネ21:2ではガリラヤのカナの人と呼ばれている。尚、使徒の働き1:11では、まとめて「ガリラヤの
  人たち」と呼ばれている。
⑦バルトロマイは「バル=息子の意」と「トロマイ=父親の名」でトロマイさんの息子の意。当時、今日の私達で
  言う姓がなかったため「~の息子の~さん」という呼び方で区別していた模様。ヨハネ1:42、45、
  マタイ10:2、3等々。そこでバルトロマイが姓でナタナエルが名ではとも言われる。ナタナエルは「神の賜物」
  の意なので主イエスを信じ従った時に、新たに頂戴した名前だったかもしれない。例えばヨハネ1:42。
(2)先入観、偏見による否定。
当初、ナタナエルはイエスがナザレ出身と聞いて、約束された救い主であることを否定しました。
ヨハネ1:45~46「ナザレの人イエス~ナザレから何か良いものが出るだろうか」ナザレはナタナエルの
出身地カナに近く、マタイ4:15「異邦人の地」とあだ名されたガリラヤ地方の寒村でした。ガリラヤは半異邦人
の地で宗教的にも問題がありました。「ナザレなどというド田舎、あんな寒村、あんなダメな所からはどうせ
良いものが出るわけがない」という先入観、偏見。食わず嫌いと言うか、見もせず聞きもしないのに、自分の
狭苦しい経験のみで物の価値を決めてしまう。非科学的な判断です。
キリスト教反対者の中にも案外こんな反応が散見されます。ピリポは46「実際に行ってみろよ、
実際に自分の目で見てみろよ」と勧めています。ナタナエルは実際に行ってみて、その結果、
49「あなたは神の子」との信仰に至りました。
(3)私達が知る「前に」主の眼差しがある。主の先行的着目を知ろう。
ナタナエルが主を認める前に、不思議にも主イエスは彼をご存知でした。48「どうして私をご存じなのですか
 ~イエスは答えられた~ピリポがあなたを呼ぶ前にあなたを~見た」と。注目すべきは「呼ぶ前に」です。
 私達は信仰を持った際に、私は自力で救い主を発見したと思ったかもしれません。
 しかし、ここに断言しよう!単独で個人的に自力のみで主を発見した人は誰一人いません。
 まずは今回のピリポのように誰かの助けが必要でした。44「ピリポはナタナエルを見つけた」と。
 さらにその前に47「イエスはナタナエルを見て」おられ、48「ピリポがあなたを呼ぶ前にあなたが
 いちじくの木の下にいるのを見ました」と。私達が信じる前に他の誰かの伝道があり、さらにその前に
 主イエスによる「先行的着目」があったことに感謝しましょう。
 私達が知る前に主イエスに知られていたのです。

●2020年 8月 9日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒 バルトロマイ、ナタナエル」 マタイの福音書10:1~4
主イエスの後継者は十二人の使徒でマタイ10:3、マルコ3:18、ルカ6:14、ヨハ
ネ21:2に人名表があります。使徒の働き1:13にも。これらを通覧して気になるの
はバルトロマイとナタナエルです。
(1)バルトロマイとナタナエルは同一人物ではないか。理由は以下のとおり。
①共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)にはバルトロマイは出てくるがナタナエルは出てこない。
  ナタナエルはガリラヤ出身で最古参の一人であり、ピリポによって伝道された人なので共観福音書にもっと
  登場してよさそうだが何故か登場しない。
②ヨハネ福音書にはナタナエルは出てくるがバルトロマイは出てこない。すべての福音書にはバルトロマイに
  関する特別な記事はない。
③二人が同時に登場することもない。どちらか一方。
④ピリポとバルトロマイは人名表で常に「組」で扱われている。人名表は二人一組で書かれており、
  多分これは伝道チーム。マルコ6:7、ルカ10:1「十二人を呼び二人ずつ遣わし」。
⑤組み合わされた二人には関係がある。ペテロとアンデレは兄弟。ペテロはアンデレが伝道した。ヤコブと
  ヨハネは兄弟。ナタナエルはピリポが伝道した。
⑥人名表の筆頭四人(ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ)は最古参でガリラヤ周辺の人達。ナタナエルも
  ガリラヤ近くのベツサイダ出身でアンデレ、ペテロと同郷の人。ヨハネ1章には40アンデレ、41ペテロ、
  43ピリポなど古参の弟子達の記事が連続しているが、その中に45ナタナエルの記事もある。
  ヨハネ21:2ではガリラヤのカナの人と呼ばれている。尚、使徒の働き1:11では、まとめて「ガリラヤの
  人たち」と呼ばれている。
⑦バルトロマイは「バル=息子の意」と「トロマイ=父親の名」でトロマイさんの息子の意。当時、今日の私達で
  言う姓がなかったため「~の息子の~さん」という呼び方で区別していた模様。ヨハネ1:42、45、
  マタイ10:2、3等々。そこでバルトロマイが姓でナタナエルが名ではとも言われる。ナタナエルは「神の賜物」
  の意なので主イエスを信じ従った時に、新たに頂戴した名前だったかもしれない。例えばヨハネ1:42。
(2)先入観、偏見による否定。
当初、ナタナエルはイエスがナザレ出身と聞いて、約束された救い主であることを否定しました。
ヨハネ1:45~46「ナザレの人イエス~ナザレから何か良いものが出るだろうか」ナザレはナタナエルの
出身地カナに近く、マタイ4:15「異邦人の地」とあだ名されたガリラヤ地方の寒村でした。ガリラヤは半異邦人
の地で宗教的にも問題がありました。「ナザレなどというド田舎、あんな寒村、あんなダメな所からはどうせ
良いものが出るわけがない」という先入観、偏見。食わず嫌いと言うか、見もせず聞きもしないのに、自分の
狭苦しい経験のみで物の価値を決めてしまう。非科学的な判断です。
キリスト教反対者の中にも案外こんな反応が散見されます。ピリポは46「実際に行ってみろよ、
実際に自分の目で見てみろよ」と勧めています。ナタナエルは実際に行ってみて、その結果、
49「あなたは神の子」との信仰に至りました。
(3)私達が知る「前に」主の眼差しがある。主の先行的着目を知ろう。
ナタナエルが主を認める前に、不思議にも主イエスは彼をご存知でした。48「どうして私をご存じなのですか
 ~イエスは答えられた~ピリポがあなたを呼ぶ前にあなたを~見た」と。注目すべきは「呼ぶ前に」です。
 私達は信仰を持った際に、私は自力で救い主を発見したと思ったかもしれません。
 しかし、ここに断言しよう!単独で個人的に自力のみで主を発見した人は誰一人いません。
 まずは今回のピリポのように誰かの助けが必要でした。44「ピリポはナタナエルを見つけた」と。
 さらにその前に47「イエスはナタナエルを見て」おられ、48「ピリポがあなたを呼ぶ前にあなたが
 いちじくの木の下にいるのを見ました」と。私達が信じる前に他の誰かの伝道があり、さらにその前に
 主イエスによる「先行的着目」があったことに感謝しましょう。
 私達が知る前に主イエスに知られていたのです。

●2020年 8月 2日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒 ピリポ②」 ヨハネの福音書14:7~11
今回ピリポの発した質問は大変興味深く謎めいています。8「主よ、父を見せてください。そうすれば満足します」 これは人間の最も根源的な問いかけではないでしょうか。神がいるなら一度神を見てみたい。真面目な願いです。
私が神を信じることができないのは、ひとえに未だかつて神そのものをこの目で見たことがないからで、もし直接に神を見ることができたら、信じることができる。信じてもいい。こういう話は時々耳にします。ここで「父」と言っているのは主イエスが神様を神様と呼ばず「天の父」と呼んでいたからです。これは主イエスの話し方の特徴でもあり主イエス処刑の理由でもありました。ヨハネ5:18参照。 
しかし、そもそも人間に神を見ることはできるのでしょうか。聖書は、基本的には出来ないと教えています。               しかし見えると教えているように読める所もあります。例えば、出エジプト記33:20「あなたはわたしの顔を見ることはできない。   人はわたしを見て、なお生きていることはできないから」と。しかし、同章11「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセと語られた」とも言われます。またヨハネ1:18「いまだかつて神を見た者はいない」と言われますが、マタイ5:8「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るから」とも言われます。どう考えたらよいのでしょうか。私は通常、人間は肉眼で神を見ることはできないと考えます。しかし、それで神について何も分からないかというとそうではないと考えます。分からないなら信仰も成立しないことになるでしょう。
神は物質でないので目には見えない。
私達は何かの物があると分かるためには五官を用います。目…視覚、耳…聴覚、肌
…触覚、鼻…嗅覚、舌…味覚。これ以外の方法はなく、これ以外の方法は五官とは異なるもので、
第六感などと言いますがよくわからない感覚です。神様は五感に引っかからない方です。
見えざる神を人間に見せるために、御子は受肉した。
主イエスは不思議なことを仰いました。14:9「わたしを見た人は父を見たのだ」と。
父と御子イエスは深く結ばれているということです。御子は神の栄光の輝き、神の本質の完全な
現われです。父と御子の深い一体性は聖書のあちこちに記されています。
ヨハネ10:30「わたしと父とは一つ」ヘブル1:3「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れ
=カラクテール=彫ってできた型」と。ヨハネ1:18「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところに
おられるひとり子の神が、神を説き明かされた」と。御子イエスは神の「説き明かし」は
「説明、報告」という単語です。
救いと言われても救いそのものは見えません。味も臭いもしません。信ぜよと言っても、目に見えず、
天にいます方なら私達にはわからないのです。「神は愛なり」とは言っても、愛そのものは見えず
触ることもできません。そこで救い主は「人となって」私達との接点となり、「私達のまっただ中に住み込み」
「見えてさわれるお方」としておいでくださったのです。ヨハネ1:14参照。
結論
神様のことを知るためには人となったイエス様をよく知ることが大切であり
他に方法はありません。

●2020年 7月 26日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒 ピリポ①」ヨハネの福音書3:16~21他
新約聖書にはピリポが2人登場します。まず十二使徒のピリポ。もう一人は世界最初の教会である                     エルサレム教会の七執事の一員であるピリポ。使徒の働き6:5。同名異人です。使徒ピリポは主イエスの、              ヨハネ1:43「ピリポを見つけ~わたしに従ってきなさい」との召しによって入信しました。                          主の眼差しと召しの声は私達にも向けられています。以下彼の活動2点。
ナタナエルのとりなし
ヨハネ1:45~46でピリポはナタナエルを見つけて、私は預言されたメシヤと会ったと話しますが、
ナタナエルは「あんな寒村のナザレから良いものが出るわけない」と嘲笑しました。先入観、偏見です。
私などはこうした挑発に弱く、すぐ「何を」と議論してしまいそうですが、ピリポは「来て、見なさい」と
シンプルに勧めました。この勧め方は主イエスの1:39「来なさい。そうすれば分かります」に似ています。
議論に訴えるのではなく事実に訴えたわけです。こうしてピリポは自分がしてもらったのと同じ方法で
ナタナエルを導きました。救われたのは救うためです。私達にもきっと架け橋たる小ピリポがいたはずです。
私達も同様にと思います。尚、ナタナエルとは一体誰だったのかは諸説あり、バルトロマイと
同一人物ではとの意見があります。私個人もこの説に賛成です。ナタナエルはヨハネ伝にしか登場せず、
バルトロマイは共観福音書にしか出てこず、また使徒のリストではピリポとバルトロマイは一組になっています。
少年のとりなし
ピリポは大麦5つと魚2匹を持ってきた少年を主イエスと結びつける架け橋の働きをしています。
この点ピリポはアンデレと似ています。アンデレも架橋的人物でした。
この箇所はヨハネ6:5~7「男だけで5000人」いた大群衆に食事を提供する話です。
ピリポは7「200デナリでも足りまい」と悲観的に考えました。
お金もなければ人も多すぎる、だから「できっこない、足りるわけがない」と。
確かにこの計算は間違っていません。常識的には極めて冷静で正しい判断でした。
主はそんな彼を6「試そう」とお考えでした。ピリポの目には大群衆と手持ち現金しか見えていません。
主が見えていません。こんな厳しい現実があるではないか。こんな不利な環境が立ちふさがっているではないか。
だからできっこない。だからうまくいきっこない。私達もこんな風に考えがちで、環境と自分の能力、
手の内の状況によってことの成否を決めてしまいがちです。
しかし最も大切なことは「先に先にと自分で勝手に結論を出してしまうことなく」
主に委ねて主のご解決を待ち望むということなのではないでしょうか。
主の回答はいつでも私達の想像や予想を超えているのですから。
事実、少年のささやかな献げ物は案に相違して有り余るものとなりました。
●2020年 7月19日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師
「十二使徒ヨハネ③」ヨハネの福音書3:16~21他
十二使徒のヨハネの三回目。彼の特徴の一つは新約聖書に多くの文書を残している
ことです。新約聖書全27書のうち彼は5書記しています。ヨハネの福音書、ヨハネの
手紙3通、ヨハネの黙示録です。彼について知るためには彼の書き残した文書「ヨハ
ネ文書」を調べる必要があります。古来、書は人なり文は人なりと言われます。尚、
最も多く書いているのは使徒パウロで13書です。
 以下主にヨハネ福音書から学びます。
「私は~である」
ヨハネ福音書には主イエスがご自身を何かになぞらえている言葉が多く出てきます。
たとえば6:35「天からのパン」。主はアンパンマンではありませんが、まことの命を与える方です。
また主は出エジプト記のマナのように旅路の糧です。8:12「世の光」。10:9「門」。10:11「良い羊飼い」。
主イエスの職業は大工で羊飼いをなさったことはありませんが、私達羊を守り養う方です。
14:6「道」。この道は単数形で一本道。ゆえに「この道を通らなければ誰も父のもとに行くことはでき」ません。
「分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」ではないのです。
15:1「ぶどうの木」。大切なことはこの木と私達「枝」がつながっていることです。
 興味深いことにヨハネ福音書には譬話が一つもありません。マルコ4:34「たとえによらないで話されることはなかった」とあるにもかかわらずです。譬話も「私は~である」も私達人間に分かる言葉でご自身を説明している点では同じです。
イエスとの個人的な出会いが多い。
・ニコデモ。3:1~15。彼は議員。はじめは世間体を気にしたのか夜にやってきましたが19:38~39では
白昼堂々とイエスとの関係を表しました。
・スカルの井戸のほとりで出会った女性。4:7以降のイエスとの会話の中で、命の水
に関して有名なみことばがいくつも連続しています。
・ラザロ。11:43で復活の恵みに与っています。
                    
愛についての教えが多い。
 新約聖書の中で「愛」という言葉を最も多く使っているのはヨハネです。ヨハネ文書がなければ
私達は神の愛についてあまり知ることはなかったことでしょう。
3:16「神は実にそのひとり子を~」はつとに有名でルターはこの聖句を「小聖書」と呼んでいます。
聖書の他の箇所が失われたとしても、ここだけは残ると。またヨハネの手紙第一4:7~21は
10「ここに愛がある」16「神は愛です」などで大変有名です。ぜひご一読を。
言い伝えによれば、ヨハネは老年となってからは「愛」としか言わなくなったとか。
              
他にも特徴があります。聖書なら何でも同じではありません。それぞれの文書にそ
れぞれなりの特徴があります。それらにも着目して聖書に親しみましょう。

●2020年 6月28日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「使徒ヨハネ」 使徒の働き4:1~22
使徒ヨハネは兄弟ヤコブと共に元はガリラヤ湖の漁師で、初めはバプテスマのヨハネの弟子でした。二人は対照的です。ヤコブは12使徒の中で最も短命でした。使徒12:1によれば使徒の中で最初に殉教しました。対してヨハネは最も長命でした。同じ血を分けた兄弟でも、太く短く主に仕える道もあれば細く長く主に仕える道もありました。ヨハネは後に初代教会に於ける「柱 ガラテヤ2:9」として重要な働きをするようになります。彼はヨハネ福音書、ヨハネの手紙3通、ヨハネの黙示録の5本を書きました。黙示録は多分紀元90~100年頃の作です。
 彼はペテロと共に伝道活動をしたようです。使徒4:1~22は二人が、生まれながらに足の不自由だった男を癒した後、当局者からそれを非難された場面です。そこでの彼らの言動が素晴らしい。
12「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです」
 まことに颯爽、キリリとした答です。要するにイエスだけが救い主だという明快な答です。「イエス・キリスト一本主義」とでも名付けましょうか。他の可能性はないと突き詰めています。
                    
19「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか判断してください」
 これまた正々堂々としたあっぱれな答です。「神に聞き従うのか、それとも人間に聞き従うのか。どちらが正しいのか」とは 私達の究極の選択です。無論、私達は知人や友人、尊敬する先生や親などからの忠告を無視しません。人からの有意義な忠告やアドバイスには謙虚に耳を傾け、改めるべきは改めるという柔軟な姿勢が必要です。人のアドバイスを軽んずる人は決して向上しないというのは確かです。しかし、事柄が信仰に深く関わる問題であったり、人生の生きる信条やモットーについてということになれば話は別です。これを誤れば、妥協であり魂の売却であり人生の大安売りとなります。彼らは「私たちは、自分の見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません」とも答えました。この堂々たる確信に満ちた態度は素晴らしい。              
13「彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた」彼らの様子を告げる言葉が印象的です。彼らは大胆ではあるが無学で普通の人でした。しかし
イエスと共にいる人だと分かったというのです。私達としても私達と会った方々が「あぁ、あの人はイエス・キリストと一緒にいる人だ。イエス・キリストと一緒に生きているのだ」とわかるようでありたいものです。私達クリスチャンは、世の人々と比較して 何かがとてつもなく異なっているというわけではありません。普通の人です。特別製の偉人や近寄りがたい聖人君子でもありません。かえって自分自身の罪を思っては神の御前に自分の至らなさを痛感する者です。しかし、世の人と決定的に異なっている点が最低限、一つはあるはずですし、なくてはなりません。それは「イエス・キリストと共にいる」ということではありませんか。                    

●2020年 6月21日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒・ヤコブ」使徒の働き12:1~5
ヤコブは旧約の族長に倣う名前。聖書にはヤコブという名の同名異人が多く出てきます。新約ではイエスの肉親のヤコブはヤコブの手紙を書き初代教会の指導的働きを担いました。マタイ13:55、ガラテヤ2:9他。使徒ヤコブとは別人です。彼は弟ヨハネと共にゼベダイを父とするガリラヤ湖の漁師でした。
極端な人。
 ヤコブとヨハネは、主イエスからマルコ3:17「ボアネルゲ=雷野郎」というあだ名を頂戴しました。信じようとしない人に対してはルカ9:54「天から火を呼び下して彼らを焼き滅ぼしましょう」などと血の気の多い人だった様子です。                    
福音馬鹿。
 ヤコブとヨハネは母マリヤ(イエスの母とは別人)と共に主イエスのもとに行き、マルコ10:37「あなたが栄光をお受けになるとき、一人が右にもう一人が左に」右大臣、左大臣の位にとりたててくださいと願い出ました。この母子を「教育偏重、出世主義でけしからん」と批判する向きもあります。使徒仲間たちも眉をひそめました。しかし彼らを弁護したくもなります。彼らはともかく信じきっていました。主イエスはやがては必ず神の国を樹立しその王に即位する。本当に神の国が実現するのだ。そのことを信じて二人は家業も父も捨てて主イエスに従って来ました。その暁には我々を右大臣左大臣にしてください。神の国が実現したらイエス様の最も近くに置いていただき、他の人にはできない重要な仕事を任されたい。一生懸命にお仕えしたいと額面どおりに信じていました。計算づくならそんな願いは愚かなことです。しかし彼らは「馬鹿になって」 そんな願いを持っていました。生真面目です。彼らを批判するのは簡単かもしれません。しかし彼らは心底信じてやる気を見せました。              
主イエスに同行した。
 変貌山の事件(マタイ17:1)オリーブ山での祈り(マルコ13:3)病気の子どもの癒し(ルカ8:51)などの際、ヤコブはペテロ、アンデレ、弟ヨハネと共に特別に同行しています。この四人は古参の弟子でいわば四天王格でした。                  
使徒団の中の最初の殉教者。
 ヤコブはヘロデ大王の孫ヘロデアグリッパⅠにより斬殺され(使徒12:1)最初の殉教者=命をかけて信仰を証しした者と なりました。彼はペテロと並んで12使徒団では有力なメンバーだったらしく、彼の後にはペテロが迫害の標的となりました。   
使徒の時代の後に教父(きょうふ)たちが教会を指導します。教父テルトリアヌス(†220頃)は著書「護教論」で21:25「弟子達は~真理に対する信仰の故にネロの暴虐な行為の中で喜んでキリスト教の血を流しその種子をまいたのである」50:13 「キリスト教徒の血は種子である」と書いています。
 実際、歴史上ヤコブのように血をもって信仰の証しをたてた人は大勢います。日本でもキリシタン迫害の中で殉教した方や70年前の太平洋戦争の頃にも殉教した人がいます。彼らは「教会の種」であり、そこから教会が生え広がって行きました。
 新聖歌390②「われらは死もまた辞せじ、君が御旨とあらば」と。

●2020年 6月14日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

「十二使徒 アンデレ」
アンデレは「ヨハネ6:8ペテロの兄弟」おそらく弟です。彼ら二人は「ヨハネ1:44ベツサイダ」在住のガリラヤ湖畔の漁師です。二人は当初、バプテスマのヨハネの1:35「弟子」でしたが、ヨハネから「36イエスが神の子羊、41メシヤ」だと聞き、やがてイエスの招きにより「マタイ4:18~20」イエスに従うことにしました。
福音書にはアンデレが幾度か登場しますが、その場面には一つの大きな特徴があります。それはアンデレが「人と主イエスの間をつないだ。両者の架け橋になった」ということです。私達が信仰を持った時にも、どこかの誰かが主イエスとの間をとりもってくれて、私達が主イエスに近づけるようにしてくださいました。いわば、私達にとってのアンデレがいたということです。それは家族かもしれませんし、友人かもしれません。あの人が主イエスを紹介してくれた、あの人が私を教会に導いてくれた。あの人がいなかったら今でも主イエスを知らなかった。そんな風に私達と主イエスの間をつなぎ、架け橋になってくれた小アンデレがいたはずです。
以下はアンデレの登場箇所。いずれもヨハネの福音書。
①1:35~42
 アンデレは肉親の兄弟ペテロを「42イエスのもとに連れて来た」。以前、私はペテロが使徒第一号かと思っておりましたがアンデレが第一号であり架け橋となったわけです。これがきっかけとなりペテロは主イエスに従っていきました。なお、この段落で「39来なさい。そうすれば分かります」も印象的な聖句です。
②6:5~15
 有名な「五餅二魚」の場面です。彼は大麦パンと魚を持参した少年のことを主イエスに紹介しています。もっとも「9それが何になるのでしょう」と半信半疑だったようですが、少年の献げ物は主の大いなる恵みを表す物として用いられました。
③12:20~22
 十二人いた使徒たちのうち、ピリポとアンデレのところにギリシャ人がやってきました。それはたぶんこの二人がギリシャ風の名前を持っていたからです。ギリシャ人は「イエスにお目にかかりたい」と願い出ました。すると「22アンデレとピリポは行ってイエスに話し」ました。ギリシャ人は異邦の民です。
こうしてアンデレは①自分の肉親を②少年を③異邦の民ギリシャ人を、それぞれ主イエスに紹介し両者の間をつなぐ架け橋になりました。ひょっとしたら家族や子どもや異邦人など、主イエスに引き合わせて何になると考えられないではなかったと思われますが、とにかくこれらの人々と主イエスとの出会いにおいて、アンデレが必要不可欠な働きをしたと聖書は伝え続けています。
思えば神と人との間をつなぎ、架け橋となるという職務は、主イエスのお働きに倣うものでした。主イエスも神と人とをつなぐ架け橋でした。ヘブル人への手紙7:25「イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになる」。ローマ人への手紙8:34「キリスト・イエスが~とりなしていて」と。今後、私達も小さなキリスト、小さなアンデレとして、主なる神と人とをつなぐ架け橋になってまいりましょう。

●2020年 6月7日(日)主日礼拝 坂本 誠牧師

ルカ22:54~62「ペテロ③」2020.6/7礼拝説教
主イエスの取り調べの場面です。ペテロは主が逮捕された時、様子を窺っていました。その際「54遠く離れて」、他の人に紛 れ「55腰を下ろし」ました。そこに3人の人が次々に現れて彼がイエスの仲間だ共犯者だと指摘しました。「56この人もイエスを一緒にいた」「58あいつの仲間だ」「59彼と一緒にいた」と。そのたびに彼はそんな人は知らない、分からないとシラをきりました。彼は自分だけは「マタイ18:18暖まりながら」ぬくぬくと他人面を決め込んでいました。急に図星を指されて焦ったのか、ついお国なまりが出てしまいました。「マタイ26:73ことばのなまりで分かる」と。
私たちはどうでしょうか。あなたはクリスチャンですか。あなたは主イエスを信じているのですかと質問された時、落ち着いて「そうだ」と答えておられますでしょうか。それとも「あのー、一応は」などと誤魔化し半分になってはいないでしょうか。
 さてそのように曖昧に答えた刹那、ニワトリの鳴声が響きました。その時ペテロは振り向かれた主イエスと目と目があってしまいました。「60~61鶏が鳴いた。主は振り向いてペテロを見つめられた」と。ペテロはその瞬間、先に主イエスが「61鶏が鳴く前に三度私を知らないと言う」と警告したお言葉を思い出し、いたたまれなくなったのか外に出て男泣きに泣きました。
イエスの目に関してポイントを2点。
ペテロを見つめた主イエスの目はどんな目だったのでしょうか。もし私がこの時の主イエスだったとしたら、きっと「それみたことか」というあきれた目や、「おまえにはガッカリだ」という軽蔑のまなざしや、「この裏切り者め」という憤りの視線をしたに違いありません。しかしこの時の主イエスの目は「祈った人の目」でした。先の32節で、主は「わたしはあなたの信仰がなくならないように祈りました」と仰せでした。ペテロの情けない姿など先刻ご承知のように、先回りして彼のために祈っていたというのです。そういえば使徒を選ぶ際にも「6:12神に祈りながら夜を明かされた」のでした。私たちもペテロのように思いもよらない失敗をしでかしたり、クリスチャンとして情けない姿をさらすことがあります。そんな時、主イエスは既に私のために祈っておられることを思い起こしましょう。
主イエスの目は期待の目でした。「32あなたは立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい」と。主はやがて近い将来、立ち直るであろうペテロに期待し、彼に新しい使命を備えて祈っておられました。まだこの時点ではペテロは立ち上がっていませんが、彼の将来に期待しておられたのです。実際この後、ペテロは使徒集団のリーダーとなり、手紙2本を書いて教会を指導していきました。私たちも祈りと期待の眼差しの中に生かされています。